「ケーキ職人になろう」
そう決めた14歳の秋。
ここから本格的にお菓子の道に入るまでの3年間。
今思えば、この期間こそが今の私を作り上げたのかもしれません。
進学校に入学した15歳の春。
中学から続けていたバレー部に入学したのはごく自然な事でした。
しかし、入ってみて知ったのは、道内でもかなり強い高校だったという事。
毎日の練習はもちろん、夏と冬の年に2回ある合宿では、
春高バレーで活躍する道内強豪チームと一緒。
「男は野球部、女はバレー部」と言われるほどに、規律も厳しく、練習も厳しい。
正直「私ついて行けるかな・・・」と思いました。
でも、当時私と同じ学年で入部したのは3人。
しかも秋には1人が辞め、バレー経験のある私と、未経験のもう1人だけに。
辞めるわけにもいかない状況。
姉との2人暮らしで家の事もしながらの学生生活。
試験もあれば、行事もある。そして毎日夜遅くまでの厳しい練習。
はっきり言って、その当時の記憶はありません。
毎日が必死でした。
下手くそなりに頑張りました。
そうして2年生の夏の終わり、必然的にキャプテンに抜擢。
ただ毎日を必死に過ごしてきただけです。
技術も人徳もありません。
3年生になり、勉強はどんどん難しくなって、
部活でもキャプテンという肩書きが重く圧し掛かりました。
・・・この頃には、体は悲鳴を上げていました。
朝起きるのも辛く、遅刻する日が続きます。
「学業とスポーツの両立」だけじゃない。炊事・洗濯も。
朝起こしてくれる人もいない。
負のスパイラルにはまり「義務感」でしか部活に顔を出せなくなりました。
もちろんそんな人を慕う後輩などいるはずも無く。
顧問教師からも「今まで見てきた中で一番最悪なキャプテンだ」と言われた事も。
部活の中でも疎外感を感じ、お腹が痛くなったりする事もありました。
「今辞められたらどれだけ楽になるだろう!」
けれど、私にはそれが出来ませんでした。
今ここで辞めてしまったら、逃げ出してしまったら。
この先長く長く続いてゆく人生の中で、
きっとまた同じ状況にめぐり合うはずだと思ったからです。
後輩に追い越され、見下される経験。
トップから信頼されないという経験。
惨めで、苦しくて、情けなくて。
でも弱音も吐けず。本音も言えず。
今から頑張るだけの気力も無い。
逃げ出したいけど逃げ出せない。
そうして心に誓った事。
―お菓子の世界で、絶対に同じ思いは味わいたくない―苦しかった2年半。
それは、職人の世界を進むと決めた私の為に、
神様が与えた試練だったのかもしれません。
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- 2010/07/12(月) 15:03:53|
- 道のり
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